ぎゃっこうの日

無益でも有益でもない

黒い瓶の中で歌う

 

 

さてさて、12月が始まりました。

 

1つだけ大きなイベントがありますがそれ以外はなんてことの無い日常で

なんとなく過ぎて行くのであると予想しているのであります。

 

それでもたまには空を見上げたりして

冬の低い雲を目で追ったりする訳であります。

 

飛んでいる鳥と、その奥に見える白い月を目で写経して

残りの2015年のはかない命を惜しんだりするのだと思います。

 

 

ウーム。

今日は心のどこかにあるストッパーががばがばのようです。

 

一時的に興奮をしたかと思えば、いつのまにか黒い瓶の中に入り込んでいたり

耳を傾ければそうとう大きな声で、その瓶の中で歌っていたりするのです。

 

 

それが普遍的な成人であるなら、日本の成人はとってもダークネスな部分を

隠し持っていることになります。

 

ウーム。

でもそれはそれでとても面白いことだと。

化粧をしなければ人前に出れない人や、目やにだらけで街をふらつく人がいたり

 

そもそも人前って何?とボーダーラインが無い人もいたり。

いろんな人がおるのですし。

 

 

心の内に入り込んでくるのはいつも、特定の人物だけで

それ以外は風景をありがとうっていう感じにしているのですが

最近は興奮の場合も、黒い瓶の場合も私は外から見たらあなたがたと同じ風景であるのだと。

 

 

だから今はそのがばがばのストッパーな自分を許そうとしている自分がいて

それでいいのでは、と口ずさむようにしようとしているのです。

 

 

 

何となくですが、この1ヶ月のうちに、何かがスタートして

何かが終わるような気がしています。

 

その気配が私を苦しめようとしても、それは分かっていたぞ。

と、想定の範囲内だったということを強調してみようと思います。

 

 

それでは。

 

 

12月1日