ぎゃっこうの日

無益でも有益でもない

珈琲と酒の前後関係

 

 

11月は、心が震える出来事ばかりだった。

それは、良い意味でも悪い意味でも私の人生に関する重要な事柄であることに

間違いは無さそうなのであった。

 

久々にお酒でも飲もうという気になったのは

体の中をアルコールで一旦消毒しようとしているのかも知れないと。

 

 

先ほど、インスタグラムの写真を削除した。

デスノート魅上照のように、「削除」「削除」「削除」....と

唱えながら消しませんでしたが、消しました。

 

画面がさっぱりとして、いい気分でしたこんばんは。管理人です。

 

 

今日の夜は気分がよく、珍しく地元の友達と電話をしたあと

コンビニで缶コーヒーを買い、靴下をはいてこなかったことを後悔をして

 

何となく写真を整理しようという気分になったのです。

 

iMacのデスクトップに散乱していた写真を、一括にファイルにまとめるのは

約半年ぶりな訳で、散乱していた写真を見返すきっかけにもなったのです。

 

 

そして、写真とは、写真とは、と今度は本当に唱えながら

今後の撮影プログラムについて頭を回転させる栄養剤としてコーヒーを飲むのですが

そんな絆創膏程度の治療では、この大きな問題が解決できる訳ではありません。

 

ただ漠然とふけること。ただこれが良い写真に繋がると信じているのです。

(約一ヶ月ろくに写真も撮影していませんがね)

 

 

なんせ今日の夜は機嫌が良い訳で。

お風呂に入っている間ずーっと謎のwe will rock youの連呼は、すさまじく近隣に響いたことでしょう。

 

 

さてさて。

生きるとは何でしょう。

 

まとめる気もさらさらありません。

もし、私が殺人犯になってしまったらここのブログを警察に覗かれて

 

犯人は理屈っぽく、頭蓋骨のなかには1つのドングリしか入っていないのではないか

という専門家の指摘を受け、iPhoneの検索履歴も徹底的に覗かれ、

こやつサルトルとかカエサルとか似たような名前の知識人ばかり調べて

頭いい人ぶりたいだけだろうと国民のおもちゃにしようとするに違いありません。

 

しかし、覗かれてはいけない、隠したいそのものがほんとうの自分であって

やっかみが全くない殺人犯の方がむしろ恐怖なのではないかと思う訳です。

(だから戦争は恐ろしいのですね...)

 

殺人犯も、アジア人も、アボリジニーも、動植物も、

ただ生きていたかった。恐怖から逃れるための防御をしてたのだと。

 

攻撃は心の中でだけでしろ。

美しい肺を汚してしまえ。

それが生きるということだ。

 

 

温和が一番だね。

ほら、花とか美しいっしょ。

 

11月30日